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盛美園を歩く|大石武学流の庭園と和洋折衷の盛美館

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青森県平川市の盛美園には、庭園だけを見ても、建物だけを見ても届かない面白さがあります。

白い洋風の二階を載せた盛美館の前に、砂と石で表された静かな庭前が広がり、その先で水をたたえた池と築山が景色を受け止めます。

近づいて眺めれば石の置き方や刈込の輪郭が目に入り、少し離れれば建物と庭、さらに周囲の自然までが一つの風景になります。

盛美園は、津軽地方に伝わる大石武学流を代表する庭園として、1953年に国の名勝に指定されました。

明治時代に築かれた庭と和洋折衷の別邸、金色の内部をもつ御宝殿が同じ場所に残り、津軽の庭園文化と近代化の時代が重なって見えることも、この場所ならではの魅力です。

庭の名前や映画とのつながりだけで通り過ぎず、視線をどのように導く庭なのかを知ってから歩いてみましょう。

盛美園は「眺める場所」から始まる

盛美園を理解する最初の手がかりは、庭の中ではなく、盛美館の座敷側にあります。庭園は盛美館の北側に南北に長く延び、建物に近いところから奥へ向かって、平坦な枯山水の庭前、やや低い平地、さらに一段下がった池へと続きます。

目の前の一枚の景色に見えても、実際には高さと性格の異なる空間が重ねられているのです。

手前の明るい砂地には、大きな飛石や景石、礼拝石、蹲踞、二神前と呼ばれる石組が配されています。これらは無造作に散らされた石ではありません。座敷から外へ伸びる視線に節目をつくり、近景から池、築山へと目を運ぶ役割を担います。

とりわけ平たく大きな礼拝石は、歩くための石と決めつけず、庭の構成を支える大切な景石として眺めたい存在です。見学時には園路と現地の案内に従いましょう。

その先にある池は、凹字形に近い輪郭をもち、中島と奥の築山が土橋や石橋で結ばれています。盛美園は座敷から観賞する庭であると同時に、池の周囲を歩きながら表情の変化を楽しめる庭でもあります。同じ石組でも、正面から見たときと斜めから見たときでは、重なり方も奥行きも違って見えます。

まず全体を眺め、次に歩き、最後にもう一度振り返ると、庭が一方向だけの絵ではないことが分かります。

さらに視線を遠くへ向けると、園内の樹木の向こうに津軽平野と梵珠山の方向が意識されています。庭の外にある山並みを景色へ取り込む「借景」です。現在は樹木の生長や季節、天候によって遠景の見え方が変わりますが、庭が敷地の内側だけで完結していないことは、盛美園の広がりを感じる大切な視点です。

ここで面白いのは、近くの石と遠くの山が同じ視野に置かれることです。足元の飛石は手で触れられそうな距離にあり、池と築山が中ほどの景色をつくり、その先へ樹林と遠景が続きます。

小さな庭の模型のようにすべてを一度に把握するのではなく、距離の違う景色を重ねて奥行きを生む構成です。写真を一枚撮って終えるより、少し腰を落とした位置、立った位置、園路の横からと高さを変えると、どの層が強く見えるかを比べられます。

津軽に根づいた大石武学流を読む

盛美園を築いたのは、清藤家24代当主の清藤盛美です。盛美は大石武学流4代宗匠の小幡亭樹を招き、1902年から9年をかけて庭を整えました。

完成は1911年にあたります。国の名勝として示される庭園面積は約9,360平方メートル。2002年には、池へ水を導いていた取水堰の跡と、庭園の広がりをつくる周辺の樹林部も追加指定されました。

見えている石や木だけでなく、水の仕組みや背景の林まで含めて、庭の価値が守られているのです。

大石武学流は、江戸時代末期から近代にかけ

て津軽地方で受け継がれてきた作庭の流派です。大ぶりの景石や飛石、枯滝、刈り込んだ樹木などを組み合わせ、建物からの観賞を重んじる庭を各地に残しました。

ただし、その起源や名称の由来には明確でない部分もあります。分からないところを伝説で埋めるより、現存する庭の配置と、地域で継承されてきた技術から読み取るほうが、この流派の個性に近づけます。

寺院や大名家の庭だけを日本庭園の中心と考えると、盛美園は少し違った位置に見えてきます。

これは明治期の津軽で、地域の旧家が新たに築いた私的な庭です。古くからの作庭作法を受け継ぎながら、近代の別邸である盛美館と向き合い、周囲の平野や山も景色へ取り込みました。

伝統がそのまま保存されたというより、当時の暮らしや美意識に合わせて選び直された庭と見ると、石組の古風さと洋風建築が無理なく同居している理由が見えてきます。

盛美園の庭前では、盛美館側から大きな飛石が打たれ、正面の礼拝石へ向かいます。

その左右には蹲踞と二神前が置かれ、奥へ進むにつれて池と築山の景色へ移ります。見る位置を起点に、石の連なりと空間の高低差が順序よく組み立てられているのが特徴です。石の名前をすべて覚えなくても、「この石は次にどこを見せようとしているのか」と考えるだけで、庭の見え方が変わります。

築山の枯滝石組は、水を流さずに滝の勢いを表すものです。重い石が斜面に組まれ、池の静かな水面とは異なる緊張感をつくります。

青森県の文化財情報では、桃山風をしのばせる豪華な石組として評価されています。近くの石だけに目を奪われず、斜面の樹木や池岸との釣り合いまで見ると、力強さが庭全体の中で調整されていることが分かります。

もう一つ目を向けたいのが、イチイなどを大きく刈り込んだ樹形です。津軽の気候に根づく常緑樹が、丸みやうねりのある輪郭をつくり、硬い石と柔らかな緑をつないでいます。

春夏の濃い緑、紅葉の色、雪の白という季節の変化のなかでも、常緑の刈込は庭の骨格を保ちます。盛美園は花の盛りだけを待つ庭ではなく、形と余白を読むことで季節を問わず楽しめる庭です。

水にも注目すると、庭を支える範囲がさらに広がります。池の水は庭の内部だけで生まれるものではなく、かつての取水の仕組みによって外から導かれていました。

2002年に取水堰跡と樹林部が追加指定されたのは、池の水面や借景を成り立たせる周辺環境も、名勝の価値と切り離せないためです。静かな水面を眺めるとき、その背後に水を運ぶ経路と、景色を縁取る林があることを知っておくと、庭の境界が目に見える柵より広いことに気づきます。

庭に向き合う盛美館―和と洋が重なる明治の別邸

庭の一角で強い印象を残す盛美館は、庭園を眺めるための別邸として1908年に建てられました。棟梁は西谷市助です。暗い木部と白壁を見せる和風の一階に、白く装飾された洋風の二階が載り、緑青色の銅板屋根と多角形の展望室が輪郭を引き締めます。

洋館の隣に日本家屋を並べたのではなく、一棟の上下で和と洋を重ねていることが、盛美館の大きな特色です。

庭側から見ると、二階の展望室が宙へ張り出すように見えます。その下を支える構造には日本建築の技術が生かされ、外観の洋風意匠だけでは語れない工夫があります。

西谷市助は、津軽の洋風建築を数多く手がけた堀江佐吉のもとで学んだ人物です。新しい西洋の表現を取り入れながら、地元の大工技術で庭と結びつく建物へ仕上げたところに、明治の地方建築の創造性が表れています。

外壁や窓の装飾は西洋風でも、建物全体の重心は低く、一階の深い軒と縁側が庭に沿って伸びています。緑青を帯びた銅板屋根は樹木の緑と響き合い、白い二階を庭の中で際立たせます。

多角形の展望室だけを切り取れば小さな洋館の塔のようですが、その下には畳の部屋と日本家屋の軒があります。正面から全体を見たあと、角度を変えて屋根の重なりを追うと、異なる様式を上下につなぐための工夫が読み取りやすくなります。

一階の中心にある客間は数寄屋風で、雪見障子や縁側の建具を開くと、視線が手前の枯山水から池、築山へ抜けていくようにつくられています。

室内の意匠を見たあと、床の間に背を向けて庭を眺めると、建築が庭の額縁になっていることを実感しやすくなります。反対に庭から盛美館を振り返れば、白い二階と緑の屋根もまた庭の景物として計算されているように見えます。

二階にも畳敷きの部屋がありますが、天井の漆喰仕上げや洋風照明、大理石のように磨かれたスタッコ仕上げなど、和室の中へ西洋的な素材感が入り込みます。多角形の展望室からは庭の構成を広く見渡せますが、公開範囲や見学方法は一定ではありません。二階を見学できない場合でも、外から展望室の位置を確かめ、「ここから庭がどう見えるよう設計されたのか」を想像すると、建物と庭の関係を楽しめます。

一階の細部では、書院窓に蜘蛛の巣を思わせる繊細な細工が見られます。二階では、漆喰を磨いて石のような艶を出す仕上げが床の間まわりに使われ、和室の形式に洋風の質感が重ねられています。

外観の「和風一階、洋風二階」という説明は分かりやすい一方、実際の盛美館は、部屋の中でも和と洋が細かく交差する建物です。大きな分類だけで満足せず、窓枠、天井、柱、建具へ視線を移すと、職人たちが新しい表現を試した跡が見えてきます。

盛美園と盛美館は、2010年公開のアニメーション映画『借りぐらしのアリエッティ』に登場する屋敷や庭の舞台イメージを考える際、参考にされた場所としても紹介されています。

映画の場面と完全に同じ建物を探すのではなく、深い緑の中に立つ古い館、低い視点から広がる庭、和と洋が交わる少し不思議なたたずまいに目を向けると、作品へつながった空気を感じ取りやすいでしょう。

季節を越えて守られる名勝を歩く

盛美園では、季節が変わるたびに主役も入れ替わります。芽吹きの時季には石の間へ新しい緑が広がり、夏は刈込と高木が幾層もの陰影をつくります。秋はカエデの赤や黄が常緑樹の深い色に重なり、池の水面にも映ります。

雪が積もると細かな色彩が抑えられ、飛石や築山、刈込の輪郭がいっそう明瞭になります。どの季節にも、庭の構成を見つける入口があります。

歩くときは、最初から池の奥を目指さず、盛美館に近い平庭で一度立ち止まるのがおすすめです。砂の広がりに対して石がどれほどの大きさで置かれているか、飛石がまっすぐではなくどのように向きを変えるかを見てから、池の周囲へ進みます。

築山側では枯滝石組を斜めから眺め、帰りに盛美館と庭を一緒に振り返ります。一周の中で視点を変えることが、盛美園の設計を味わう近道です。

園内には、1917年に造営された清藤家の位牌堂「御宝殿」もあります。重層の入母屋屋根と唐破風を備えた建物で、十畳敷きの堂内は金箔で覆われ、漆芸家・河面冬山による大作の蒔絵が納められています。

庭と盛美館の落ち着いた色から一転する金色の空間は、清藤家が庭園だけでなく、家の記憶を伝える場にも力を注いだことを物語ります。観覧方法は現地の案内に従ってください。

盛美園は1953年の名勝指定後も、庭の形を将来へ伝えるために保存と整備が続けられてきました。

庭園は、完成した年の姿をそのまま止めておけるものではありません。木は伸び、水路には土砂がたまり、石の周囲の地形も変化します。刈込の輪郭や水の流れ、眺望を保つ日々の手入れがあってこそ、明治の作庭意図を現在の私たちが読み取れます。

美しい景色の背後にある継続的な手仕事にも、少しだけ思いを向けたいところです。

盛美園は、弘南鉄道の津軽尾上駅から歩ける場所にあり、近くには猿賀公園や猿賀神社もあります。庭園内の公開範囲、修繕の状況、観覧方法などは変わることがあるため、訪問前に盛美園公式サイトまたは平川市観光協会の案内をご確認ください。

現地では時間だけを追わず、座って見る視点と歩いて見る視点の両方を確保すると、庭と建物が結びつく瞬間に出会いやすくなります。

まとめ|庭、建物、遠景を一つの風景として見る

盛美園の魅力は、名石や建築の珍しさを一つずつ数えるだけでは捉えきれません。

盛美館の座敷を起点に、枯山水の庭前、池、築山、樹林、遠くの山へ視線がつながり、その風景の中へ和洋折衷の建物も加わります。

大石武学流の石組は、庭を飾るだけでなく、見る順序と距離を整える役目を果たしているのです。

まず立ち止まって全体を眺め、次に石の向きや刈込の輪郭を確かめながら歩き、最後に盛美館を振り返る。そんな順番で過ごすと、明治時代の庭が今も動きのある風景として守られていることに気づきます。

映画の舞台イメージとして知った人にも、日本庭園を目当てに訪ねる人にも、盛美園は「どこから見るか」を考える楽しさを教えてくれる場所です。

おでかけ前に情報をチェック

【お役立ちリンク】

盛美園公式サイト

平川市観光協会の案内

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