
はじめに
宍道湖のほとりに凛と立つ 松江城 (まつえじょう)は、400年の時を越えて戦国の姿を今に伝える、 国宝 の天守をもつ名城です。
黒漆に包まれた重厚な外観から「千鳥城(ちどりじょう)」とも呼ばれ、その静かな威厳と気品は“山陰の美の象徴”として多くの旅人を魅了してきました。
戦国武将・堀尾吉晴によって築かれ、のちに徳川家の血を引く松平家が文化の都として発展させた松江。
武と和が調和するこの城は、今も松江観光の中心として、城下町の風情とともに息づいています。
この記事では、松江城の歴史や構造、見どころ、周辺の城下町、アクセス情報までを、初心者にもわかりやすく丁寧に紹介します。
夕陽に染まる黒い天守を見上げれば、400年前の武士の誇りが、確かにそこに感じられるはずです。
2025年現在、以下のの5つの現存するお城が日本の「国宝」に指定されています。
- 姫路城(兵庫県姫路市)※世界遺産
- 松本城(長野県松本市)
- 犬山城(愛知県犬山市)
- 松江城(島根県松江市)
- 彦根城(滋賀県彦根市)
「国宝」とは
国宝とは、日本の文化財の中でも特に価値の高いものに与えられる特別な称号です。
お城だけでなく、寺や神社、絵画、仏像なども国宝に指定されていますが、お城の場合は、「天守」と呼ばれる中心の建物や、「やぐら」「門」「塀」などの部分が国宝に指定されます。
つまり、「城全体」が国宝というより、「特定の建物」が国宝として守られているのです。
どうやって選ばれるの?
次のような三つの条件を満たしたお城だけが「国宝」に指定されています。
- 歴史的に重要であること
その城がどんな時代に建てられ、どんな出来事とかかわったのか。 - 建て方や形が優れていること
木の組み方、屋根や壁のつくりなどに、その時代の最高の技術が使われているか。 - 昔の姿がよく残っていること
修理や再建をくり返していても、もとの部材や形がしっかり残っているか。
現存天守って何?
「現存天守」とは、昔に建てられた天守が火事や戦争で壊れずに、今もそのまま残っているお城のことです。
日本には100以上の城がありますが、現存天守があるのはわずか12城しかありません。
国宝の城5つはすべてこの「現存天守」を持っています。
だからこそ、何百年も前の木や釘、壁の白漆喰(しっくい)などを、実際に自分の目で見ることができるのです。
なぜ5つだけが国宝なの?
昔の日本では、明治時代の「廃城令(はいじょうれい)」などによって、多くの城が取り壊されました。
さらに、戦争や火災、地震で失われた城も多くあります。
そんな中で、建てられた当時の姿をほぼ保ったまま残っているお城が、この5つだったのです。
いずれの城も修理をくり返しながら大切に守られ、今では「日本の宝」として国が保護しています。
国宝の城は、ただの観光地ではなく、日本の歴史や技術、そして人々の思いが積み重なった「生きた文化財」です。
それぞれの城には、時代を生き抜いてきた物語があります。ぜひ一度、足を運んでみてはいかがでしょうか。
水とともに生まれた“黒の名城”

湿地に築かれた堀尾吉晴の理想
松江城の歴史は、戦国武将・堀尾吉晴(ほりおよしはる)から始まります。
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康という三英傑すべてに仕えた智将であり、関ヶ原の戦いの功により出雲と隠岐を与えられました。
彼が築城地に選んだのは、湿地帯の広がる松江。
一般的には城づくりに不向きな土地ですが、吉晴は逆にそれを利用し、湖と堀を組み合わせた「水の城」を設計します。
1607年に築城が始まり、5年後の1611年に完成。宍道湖を天然の外堀に見立て、堀をめぐらせ、船で物資を運べる仕組みを整えました。
松江城 はこうして“水とともに生きる城”として誕生したのです。
宍道湖とともに生きる町
吉晴は「城は人を守るものであれ」という信念を持っていました。
外敵を防ぐよりも、生活を支えることを重視し、城下町は水運とともに発展していきます。
この思想が、のちに松江を「山陰の小京都」と呼ばれる文化都市へと育てていく基盤となりました。
武から和へ ― 松平家が築いた文化の都


徳川の血を引く松平直政の治世
堀尾家が断絶したのち、京極家を経て藩主となったのが松平直政(まつだいらなおまさ)。
徳川家康の孫にあたる人物で、藩政を安定させ、松江の発展を導きました。
彼は治水や教育に力を入れ、学問と礼節を重んじる町づくりを進めます。
不昧公と茶の湯の国・松江
10代藩主・松平治郷(まつだいらはるさと)は「不昧公(ふまいこう)」として知られ、松江に茶の湯文化を根づかせました。
彼が創設した「不昧流茶道」は、武士の精神を“和の美”へと昇華させたものです。
不昧公の好みを受け継ぐ和菓子文化や器の意匠は、今も松江の町に生きています。
茶の湯、菓子、器――。
それは、戦いに代わる新しい「美の競い」でした。
松江城 はこの時代、武の象徴から文化の象徴へと姿を変えていったのです。
黒の天守に宿る知恵と美学


黒と白の対比が生む静の美
松江城 の天守は五重六階建て。
外壁には黒漆が塗られ、夜戦で目立たず、湿気から木材を守る役割を果たしています。
上層部の白漆喰との対比が美しく、見る角度によって黒にも銀にも見える独特の光沢を放ちます。
五重六階の構造と戦の技術
内部は実戦的な設計です。急な階段、矢狭間、鉄砲狭間、石落とし。
戦国末期の防御構造をそのままに残しており、戦場の緊張感を今に伝えています。
最上階の望楼(ぼうろう)からは、宍道湖と中海、遠く大山まで一望。
特に夕暮れ時、湖面が朱色に染まる風景は圧巻です。
市民の手で守られた“奇跡の城”
明治維新後、廃城令により松江城も解体の危機に瀕しました。
しかし、市民たちが寄付を集めて天守を買い戻し、保存しました。
彼らの尽力により、 松江城 は奇跡的に現存天守として残り、2015年に国宝に指定。
今では「市民の誇り」として、松江市の象徴となっています。
城とともに生きる町 ― 水の都・松江の風景


武家屋敷と塩見縄手
城北にある塩見縄手(しおみなわて)は、武家屋敷と柳並木が続く情緒豊かな通りです。
白壁の屋敷が並び、江戸の風がそのまま流れているかのよう。
「小泉八雲記念館」や「武家屋敷公園」では、文学と歴史が交わる松江の心にふれられます。
堀川遊覧船と宍道湖の夕日
堀を巡る堀川遊覧船は、松江観光の名物です。
低い橋をくぐりながら船頭の唄を聞くと、時がゆっくりと戻っていくよう。
夕方には宍道湖へ足をのばし、湖面に沈む夕日を眺めましょう。
黒い天守が夕陽を浴びて赤く染まる光景は、 松江城 が“静の美”と呼ばれる理由を教えてくれます。
四季が描く松江城の表情




- 春:桜が堀を彩り、夜桜ライトアップが幻想的。
- 夏:青空と黒壁のコントラストが鮮やか。
- 秋:紅葉が石垣を染め、町全体が落ち着いた色に包まれる。
- 冬:雪化粧の天守が静寂に立ち、山陰の冬景色が際立つ。
アクセス&観光情報

所在地:
島根県松江市殿町1-5
アクセス:
JR松江駅から市営バス「レイクライン」で約10分、「県庁前」下車徒歩5分
開城時間:
8:30〜18:30(季節により変動)
休城日:
12月29〜31日
入場料:
大人680円、小・中学生290円
周辺施設:
松江神社、松江歴史館、カラコロ工房、宍道湖畔の夕日スポット
おすすめグルメ:
出雲そば、和菓子「若草」「山川」、宍道湖のしじみ料理
おわりに ― 静けさの中に宿る力
黒い天守は「強さ」、白い漆喰は「清らかさ」を象徴しています。
戦のために生まれた城が、人々の心を癒やす存在へと変わった ― その変化こそ、松江城の真価です。
宍道湖の夕陽に照らされる黒壁を見上げるとき、400年前の武士たちが守り続けた「静けさの力」を確かに感じるでしょう。








